新選組各屯所とゆかりの地を歩いてみた

京都史跡めぐり

壬生~西本願寺~不動堂村屯所跡ルート

京都で新選組が誕生した壬生をスタートし、何度も拠点を移しながら時代の変化ともに生きた隊士たちに思いを馳せながら歩くコースです。
当時は市中見廻りや買い物、娯楽すべて徒歩で移動していたし、さらに腰には重い刀を2本も差して歩くのだからよほどの体力が必要なんでしょうね。😨
実際どのくらいの時間がかかる距離なのか歩いてみましょう。

経路マップはこちら

コースガイド 所要時間約2時間

阪急大宮駅

↓ 徒歩3分

光縁寺


新選組総長・山南敬助はじめ新選組隊士のお墓があるお寺。

↓ 徒歩4分

旧前川邸

新選組初期、八木邸とともに屯所として生活してた拠点です。
池田屋事件に関係する古高俊太郎が拷問を受けたのも、山南敬助が切腹したのも、隊士の野口健司が切腹したのもこの場所です。鬼の副長・土方歳三によって規律が守られていたのです。😱

↓ 徒歩1分の範囲内に壬生寺まで隣接しています。

新徳禅寺

浪士組を率いた清川八郎が上洛し、後の新選組誕生の発端となった場所です。

八木邸

こちらも屯所として初代局長・芹沢鴨一派が生活していました。芹沢鴨が暗殺された当時の文机や刀傷も残されています。こちらでは抹茶と屯所餅セットがついた見学ができるのでゆっくり立ち寄ってみたいですね。🍵

壬生寺

 

一番隊組長・沖田総司が近所の子供たちと遊んだり、隊士たちの武芸や大砲の訓練をしたりこちらも新選組の生活の一部だったところです。

壬生塚には局長・近藤勇の胸像や芹沢鴨や隊士らのお墓があります。

2023年は新選組結成160年を記念して、土方歳三の胸像も建立されました🎊

土方さんの胸像はこちら
凛々しい土方さんですね😍

↓ 徒歩16分

島原

京都で唯一幕府公認の花街で、新選組隊士たちもよく通っていたそうです。壬生からは比較的近いので通いやすいですね😄

左は島原西門碑、右は島原大門。

国の重要文化財に指定された角屋。生きるか死ぬかの張り詰めた日常を離れて隊士たちも置屋から馴染みの太夫を呼んでここで癒されていたのでしょうか。

↓ 徒歩9分

西本願寺

新たに新選組隊士を募集し所帯も大きくなったので、壬生から西本願寺の北集会所と太鼓楼に拠点を移しました。
島原へ行くのに前より近くなってない?😁

現在北集会所はここにはなく、姫路市の亀山本徳寺に移築されましたが太鼓楼は残っています。
太鼓楼は時報の役割をしていたので、耳元でアラームが鳴るような感覚で寝起きしていたのでしょうか。😆

↓ 徒歩8分

本光寺

史実の時系列と前後しますが、地理的に次の屯所へ行く前に新選組ファンは素通りできないスポットに立ち寄ります。
坂本龍馬暗殺の仇打ちに、三浦休太郎を襲った海援隊・陸援隊と警護にあたっていた新選組が戦った「天満屋騒動」、御陵衛士として新選組を離脱した伊東甲子太郎や元八番隊組長・藤堂平助らが襲撃された「油小路の変」の跡がある油小路通を通ります。
そして、南へ向かって歩いていくと伊東甲子太郎のお墓がある本光寺にたどり着くことができます。

本光寺の前には「伊東甲子太郎他数名殉難の地」と刻まれた石碑が立っています。本来は寺内は拝観できませんが、この日はご住職が快く招き入れてくださったので、伊東さんのお墓参りすることができました。今でも大切にお手入れされているのが分かります。

それでは次の屯所へ向かいます。
全国から隊士を募集して烏合の衆となった新選組は、西本願寺で好き放題していました。困り果てた西本願寺は移転費用を負担までして次の屯所へ移転させました。どれぐらい迷惑だったのか(笑)

↓ 徒歩4分

不動堂村屯所跡

現在は建物は変わってしまい、正確な場所は不明ですが新選組の屯所の存在は確かめることができます。かなり大きな屯所だったようなのでこの辺り一帯と考えていいのでしょうが、戦乱の世が始まり半年ほどしかいられなかったのは残念です😥 鳥羽伏見の戦いが始まると伏見奉行所に拠点を移すのでこちらが洛中最後の屯所となります。

↓ 徒歩7分

JR京都駅

所要時間は目安です。狭い道などの混雑時は余裕をもって予定を組むことをお勧めします。
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